第三回 「あいだゆあのピンクのTバック」

気分が晴れない日が続いている。

朝、目を覚ますと、体が動かない。四肢にそれぞれ2kgほどの重りを乗せられているようだ。尿意が限界に達した時点で、やっと起き上がり、這いずるようにして便所に辿り着く。用を足しながら、深い溜息が漏れる。今日もまた一日が始まる。何ひとつ価値の無い一日が。

その日の天気が晴れだろうと雨だろうと、関係無い。私の頭上には常に薄暗い雲が、いや、老婆の草臥れたズロースが果てしなく覆っているようだ。重い体を何とか動かし、適当なシャツと皺だらけのチノパンに着替える。朝食代わりにレキソタン1錠を水道水で流し込むや否や、郵便物仕分けのアルバイトに向かう。ちょうど1ヶ月前に始めたバイトだ。駅までの道すがら、タイトなパンツスーツに身を包んだOLが視界に入る。年の頃は23、4だろうか。調子がいい時なら、ぷりぷりと躍動する尻に僅かに浮き出たパンティラインを凝視し、下着の色、デザイン、メーカー、価格まで想像するのだが、悲しいかな疲弊し切った今の私には、その余裕が無い。

仕事は腕力をほぼ必要としない軽作業であるため、アルバイトの半数は主婦だ。40代〜50代の主婦というのは、どうにも相容れない存在である。すぐに群れ、くだらない話題──芸能人のスキャンダルや、旦那の悪口など──で盛り上がり、下品な笑い声をあげる。今日は今日で、「好みの男のタイプ」を女子中学生のようなテンションで語り合っていた。福山やらキムタクやら、一通り有名人の名前が挙がったところで、50代半ばと思しきリーダー格の主婦が、金歯を光らせながら言った。「何だかんだ言ってもさ、やっぱり男は元気で明るいのが一番よ。暗ーいのはダメ、暗ーいのは」。その言葉は明らかに私に向けられていた。「そうよねえ」と周りの主婦達が賛同する。私は朝と夕の挨拶以外はまったく口を開かず、容姿も極めて冴えないので、彼女達からは随分と鬱陶しがられているようだ。金歯の主婦が続ける。「ホント、暗いのがいるとこっちまで辛気臭くなるのよねえ。いっつも仏頂面しちゃってさ、何が楽しくて生きてるんだか…」。その刹那。「ゴチャゴチャうるせえんだよ、この金歯!! お前らどうせゴムの伸び切った安物のパンティ穿いてんだろ? あちこち糸が解れちゃってよお、ヘドロみてえなオリモノでクロッチは年中ガビガビだ。ニッセ●あたりで10枚1980円のバーゲン品とか買ってよお。冴えねえ旦那とヤる時は、ここぞとばかりに黒地に豹柄プリントが付いた下品なパンティ穿いたりすんだろ? この貧乏主婦が!!」と、私は叫んだ。……むろん、心の中でだ。金歯は私の心情など露知らず、まだ喋り続けている。「さんまさんみたいな人が居れば、ここも楽しいんだけどねえ」。「そうよねえ」。周りの主婦が再び同調する。

 

黙々と作業を進める中で、一枚の葉書が目についた。宛先は某出版社のエロ本編集部。その横に「○○ちゃんパンティプレゼント係」と記してある。一瞬、懐かしい思いがこみ上げた。私がエロ本の編集を生業にしていた時も、こんな葉書が毎月100枚以上送られてきたものだ。中には応募券が30枚も貼られた物もあった。当選者の中には、感謝の言葉を何重にも綴った手紙を送ってくる者もいたし、わざわざ電話を掛けてきて、丁寧に礼を言う者もいた。彼らが普段どんな暮らしをしていたのかは知る由もないが、もし今の私のような、辛酸を嘗めるような生活をしていたなら、一枚のパンツがきっと生きる糧になったことだろう。そうであったなら、エロ本屋冥利に尽きる。今、彼らはどうしてるだろうか。あの時送ったパンティを、まだ大事に持っているだろうか。さすがに10年前のパンティを保管している特異な奴はいないか。まあ、どちらでもいい。同時代を過ごした友よ。名も顔も知らぬ友よ。互いに頑張って生きて行こうじゃないか。どんな逆境に陥っても、些細な幸運が舞い込む時が、必ずやって来る。あのパンティプレゼントのように──。

止まない雨は無い。今、私の頭上に覆われた老婆のズロースも、やがて何処かに吹き飛び、真っ青な空が広がるだろう。ぽつんと浮かんだ雲が純白のピコレースパンツに見える、そんな日が必ず訪れるはずだ。そう信じて、私は生きて行く。

仕事を終え、安アパートに戻った私は、タンスから一枚のパンティを取り出した。真空パックされた、ピンクのTバック。10年ほど前、デビューしたばかりのAV女優・あいだゆあを撮影した時、彼女が着用したものだ。本来は読者プレゼント用だったかもしれない。経緯は忘れたが、とにかく私が家に持ち帰った。封を開け、クロッチを鼻に押し当て、深く息を吸い込む。そこには微かに、辛うじて活気があった時代の匂いが染み付いていた。「状況は確かに悪い。でも何とかしてやろう」と誰もが踏ん張っていた、そんな時代だ。その匂いを嗅ぎながら、長いあいだ不貞寝を決め込んでいた体中の細胞が、少しずつ起き上がって行くのを私は感じていた。

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『ニャン2倶楽部Z 2013年6月号』素人女性のパンツプレゼントやってます。

 

住吉トラ象
元エロ本編集者。現在は派遣労働者。60~70年代のソウルミュージック、イイ女のパンツが好きです。座右の銘は「ニセモノでも質の高いものは、くだらない本物よりずっといい」(江戸アケミ)

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