第十四話

 

男は、口の中に溜まった液体をゴクリと一気に飲み干すと、ゆきのイチモツに吸い付いて滴を啜った。

そうしたまま、床に膝をついて、カチャカチャとベルトを外した男は、ズボンを下ろし、血液が充満したイチモツを露出させた。

ゆきのモノを喉の奥まで咥え込みながら、自分のモノを扱いていく。

こうした世界を全く知らない人が、その男の姿を見たなら、救いようがない変態だと思ってしまうに違いない。

自分こそが常識であると信じて疑わない、あの編集長の平松も、恐らくそう思うだろう。

だが、それが実の兄だったとしたら。

正月には、平松も帰省して、兄と一緒に雑煮を食べるのだろう。

平松は独身だが、確か兄は結婚して子供がいると言っていた。

その子供は、授業は英語で行うという、群馬では有名な私立の小学校に通っていると聞いたことがある。

もしも、目の前で、アレをいつまでもチューチューと吸っている中年紳士が平松の兄だとしたら、平松は、兄の本性を知らないまま、正月を共に過ごしてきたことになる。

同じ家にいても、人と人の間には、越えることのできない壁があるのだと、ゆきは思った。

とても薄い壁なのに、人は、その向こうの世界を見ることがなかなかできない。

一旦、壁の向こうに行ってしまえば、壁を越えられずにいる人々が、どれほど狭い世界の中に閉じ込められたまま生きているのかが分かるというのに。

ゆきは、目の前の変態こそが自由の人で、平松のような人は、常識という牢屋に幽閉されている囚人とたいして違わないと思った。

男は、目を閉じて、ゆきのモノを味わいながら、しばらく自分のイチモツを扱くと、射精することなく満たされたようだった。

男は立ち上がると、ズボンを穿き直し、ゆきに

「ありがとうございました」

と、言った。

男がハンガーから上着を取る時、ローマ字の刺繍がチラリと見えた。

「平松さんって、もしかして、金型会社の社長さんですか」

そう聞いてみたかったが、発展場で相手の素性を探ることが、どれほど野暮なことであるかは、ゆきもよく分かっていた。

男は、上着を羽織りながら、

「もしよかったら、これから少し付き合ってもらえませんか」

と、ゆきに言った。

「えっ、どこへですか」

「多々良書店です。今日、ちょっとしたイベントがあるみたいで、女装子さんも何人か来るようですよ」

「多々良書店?」

「ご存知ないですか。もしかして、群馬の方じゃないのかな」

「ええ、東京から遊びに来てるんです…」

と言い掛けながら、ゆきは、『群馬アンダー掲示板』に、『多々良書店』というスレッドがあったことを思い出した。

ページは開いてないが、この辺の発展場の一つであろうことは推測できた。

「私みたいなよそ者がお邪魔しても大丈夫なところなのかしら」

「もちろんですよ。東京の、こんな可愛い完女さん連れて行ったら、ボクも鼻が高いですよ」

男の車は、スバルのアウトバックだった。ゆきは、人目を気にするであろう男の気持ちを察して、後部座席に座った。

「ここから車で15分くらいですから」

 

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車は、国道122号線を太田方面に進んでいった。

左手に大きなホームセンターがあり、右手には、東武電車が走っている。

知らない土地で、女装したまま、知らない男の車に乗る。行き先は、ゲイや女装子の発展場。

すっかりこの世界に馴染んでいるゆきにとっても、それは一つの冒険だった。

その時、ゆきはシートポケットに、茶封筒が入っていることに、気が付いた。

もしや。

男は時折、ルームミラーでゆきのことを見ている。

「ここを左に曲がったところにある緑化センターも、有名な発展場なんですよ」

暗くてよく見えないが、左手の方向には、多々良沼という大きな沼地が広がっているという。

ゆきは、ルームミラー越しに、男の視線を確認しながら、シートポケットにそっと手を伸ばした。

左手の中指と人差し指が、茶封筒に触れた。

そっと引き上げると、予想通りの文字が目に入ってきた。

平松金型工業株式会社

間違いない。平松の兄だ。

ゆきが、そっと茶封筒を元に戻した時、車は、国道沿いにある、アダルト書店の駐車場へと入っていった。

黄色い看板には、黒い文字で、『多々良書店』と書いてある。

ゆきは、平松に復讐するチャンスが思わぬところから飛び込んできたことに、身震いした。

ただ、どうやって復讐すればいいのか、その方法は咄嗟には思いつかない。

車を降り、男の後をついて『多々良書店』の入り口に向かう。

アスファルトの水溜りに映った月が、ざわざわと揺れていた。

 

志井愛英
小説家。昭和41年生まれ。同性愛者、風俗嬢、少数民族、異端芸術家など、マイノリティを題材にした作品が多い。一部の機関誌のみでしか連載しておらず、広く一般に向けた作品は本篇が初。

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