第四回 「アメコミ風の柄が一面に描かれた派手なパンツ」:前編

 

 

ふーっ、ふーっ。……ふっ。

 

小さな口から何度か吐かれた頼りない息が、4号サイズのケーキに立てられた蝋燭の灯を吹き消した。
テーブルの対面には、少しはにかんだような、それでいてどこか誇らしげな笑顔があった。私は控えめに拍手をしながら「おめでとう」と言い、その後に発するべき最適の言葉を考えたが、瞬時には何も思いつかず、取って付けたように「10歳かあ」と呟いた。

 

方南町の2Kのアパートで、誕生日パーティはこうしてスタートした。

パチン、と部屋の明かりが点き、急に何かがリセットされた気分になった。私は、改めて祝福の言葉を口にした。

「いやあ、ほんとにね。おめでとう、っていうか」

「ぜんぜん心がこもってないよね」
そう切り出したのは、この日の主役である瑠奈だった。数秒前まで目の前にあった笑顔は、絵に描いたような膨れっ面になっている。
「あはは、そんなことないよ」
私は慌てて取り繕ったが、本音を言えば、瑠奈が何歳になろうと、どうでもいいことだった。出会ってから1年にも満たない他人の子供の誕生日を心からは祝う器量は、私には無かった。だが、この日10歳になったばかりの小学4年生が、そんな気持ちを直感で感じ取っているのかもしれないと思うと、少なからず私は動揺した。

 

「さっきから、すごいつまんなそうなんだけど」
瑠奈が追い打ちをかけてくる。
そんなことないって。楽しいよ。そう否定する前に、瑠奈の実母であり、9ヶ月前から私と付き合っている夏美が助け舟を出した。
「そんなこと言わないの。せっかく来てくれたのに」
瑠奈はしばらく不満気な顔をしていたが、
「そんなわがまま言ってると、おじちゃんプレゼントくれないよ」という言葉が功を奏したようで、口を尖らせながらも、うん、と頷いた。
夏美が続けて言う。
「おじちゃんは、元々こういう人なの。感情を表現するのがあまり上手じゃないの」
瑠奈にその言葉の意味が伝わったかどうかは分からないが、一瞬、気の毒そうな顔をした。
その瞬間、3人のヒエラルキーが明確になった気がした。

 
夏美と初めて出会ったのは、彼女自身が経営する中野のバーだった。カウンター10席ほどの小さな店で、BGMは60~70年代のソウルミュージックとレゲエ。壁にはボブ・マーリイのポスターが貼られ、コースターはガンジャが描かれたヘンプ素材の物を使っているが、そこにさしたる主張は無く、夏美自身も音楽の造詣はさほど深くなかった。ただ、カレーライスだけが妙に美味かった。よくあるパターンだ。週末は若い女性アルバイトを雇っていたが、基本的には夏美が一人で切り盛りしていた。

 

夏美は現在34歳。23歳で結婚して、翌年、瑠奈を産んだ。しかし3年で離婚。30歳の時、自身の貯金と親から借りた金を元に、現在のバーを開店した。その後、31歳で店の常連客と再婚したが、今度は1年も経たずに離婚した。
男運が悪いといえばそうなのだろうが、暗い陰は微塵も感じさせない。決して美人とは言えないが、水商売の経験だけで培ったとは思えない天性の愛嬌があり、そんな彼女の明るさに魅かれた常連客も少なくなかった。

 

4回、5回と店に通ううちに、私と夏美はいつのまにか恋仲になっていた。「いつのまにか」などというと、島耕作ばりに都合がいい話と思われるかもしれないが、事実だから仕方ない。私自身、彼女を強引に口説いた覚えもなければ、その逆も無い。何がきっかけか思い出せないほど、するっと滑るように、いつのまにか私達はそういう関係になっていた。

 

私と夏美が会うのは、たいてい午前10時から夕方5時までの間だった。朝4時に店を閉め、夏美はまず方南町の自宅に帰る。そこで仮眠をして、瑠奈の朝食を作って学校へ送り出した後、笹塚にある私の自宅まで自転車でやって来るのだ。たいていその日に作った朝食の余り、─おにぎりや卵焼きなど─を毎回持って来てくれ、それが有り難かった。私は一気に食事をかき込むと、夏美の手を引き、ベッドに移動するのだった。

 

子供を一人産み、18歳から夜の仕事に従事していたわりには、夏美の肌には見事な張りと艶があった。余分な肉があるにはあったが、それは三十路を超えた女だけが持つ、魔性の贅肉と言えなくもなかった。
事が終わると、たいていその3分後には夏美は寝息をたてていた。私はそれを邪魔することなくベッドを離れ、パソコンの前でしこしこと仕事をこなし、夕方5時になると、夏美を起こした。彼女の寝起きの良さは尋常ではなく、肩をポンポンと叩くだけで、はっ!と起き上がり、「あ。帰んなきゃ」と言うや否や身支度を始め、10分後には自転車で環七を走っている。そして方南町のアパートに戻り、瑠奈の夕食を作るわけだ。

 

私は夏美の体力に感心しながらも、まだ見ぬ「瑠奈ちゃん」が少し不憫に思えた。

 

001

 

 

そんな生活が2ヶ月ほど続いた頃だ。帰り支度をしながら、夏美が言った。
「あ、来週の水曜、お店休むからさ。家に遊びに来てよ。あんまり綺麗なとこじゃないけど」
私は一瞬戸惑った。
「でも、子供いんでしょ? 教育上良くないんじゃないかな、知らないおっさんがいきなり行くってのは」
ぷっ、と大げさに噴き出すような素振りを見せた後、夏美は言った。
「ホント、真面目だね。でも、一回会ってほしいんだよね」

 

翌週の水曜日、私は方南町のアパートでカレーライスを食べていた。中野のバーで食べるそれより、かなり薄味だった。その日初めて会った瑠奈は、額を膝までくっつけて、「こんにちは」と丁寧にお辞儀をした。肩より遥かに長い黒髪が、ばらっと乱れた。
この日を境に、私はこのアパートを頻繁に訪れることとなった。

 

最初こそ「方南町のアパートに行くのは夏美の仕事が休みの日だけ」というルールを自分に課していた私だが、1ヶ月も過ぎた頃にはそんなことも忘れ、だらだらと入り浸るようになった。

 

3人で夕食を食べ、出勤する夏美を玄関で送り出し、瑠奈が寝付くまでの2時間ほどの間、私たちは2人きりで過ごした。ゲームをしたり、アニメやアイドルのライブDVDを見たりしながら。

 

幼い女児と、血縁関係が無い男が同じ空間で過ごすのは、非常にデリケートな問題だ。だが、夏美は私を全面的に信用していた。
当の瑠奈も、無条件に私を歓迎していた、ように思う。いや、べつに私でなくてもよかったのかもしれない。たった1人で夜を過ごすことを考えれば、誰かが側にいることで安心出来たのだろう。

無邪気の成せる業か、母親譲りの社交性か。おそらくその両方だろう。瑠奈は「知らないおっさん」の私に対して、まったく物怖じせず、積極的にコミュニケーションをはかってきた。どちらかというと子供が苦手な私も、瑠奈の相手をするのは苦痛ではなかった。

 

ある晩、ソファに並んで座り、いつものようにテレビを見ていた。
ふと横の瑠奈を見ると、たいして面白くもないバラエティ番組を見てケラケラと笑っている。私はごろんと横になり、瑠奈の顔をまじまじと観察した。目元が少し夏美に似ているのかもしれない。ひとつひとつのパーツに特筆すべきものは無いが、全体のバランスは悪くない。案外、大人になって急に美人になるのは、こういうタイプなのかもしれないな、などと想像していた。

 

部屋着のタンクトップからは微かに膨らんだ乳房が覗いており、その奥には淡い色の乳首が見え隠れしている。

 

私はつくづく自分にロリコンの気が無くて良かったと思った。
こんな場面に欲情する大人が決して珍しくもないことを、私は知っている。児童に対する性的虐待は、未だに後を絶たない。


今日も世界のどこかで、歪んだ性欲が少女の人生を狂わせているのだろう。そう思うと、私はやり場の無い憤りを覚えた。いつのまにか眠ってしまった瑠奈の顔を見て、この子はそんな目に合わせちゃいけない、と思った。
(続く)

 

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住吉トラ象
元エロ本編集者。現在は派遣労働者。60~70年代のソウルミュージック、イイ女のパンツが好きです。座右の銘は「ニセモノでも質の高いものは、くだらない本物よりずっといい」(江戸アケミ)

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