第八回 「さくらのパンティ」

 

 過日、葛飾の金町で所用を済ませたついでに、柴又の『寅さん記念館』に立ち寄った。この記念館には過去にも2度訪れたことがあり、改めて見たい物も無かったのだが、何かに導かれるように足が向いてしまった。受付に着くと、初老の係員が「本日はCMの撮影が入っておりまして、入場は出来ますが、一部の施設がご覧になれません」と言う。さして気に留めず500円払って入場したところ、とらやのセットに本物の前田吟がいたので驚いた。撮影スタッフに促されてすぐに奥に入ったので、一瞬横顔を見ただけだったが、非常に得をした気分だった。何のCMか分からないが、時折「博(ひろし)も昔から大好きです」といった台詞が聞こえて来た。ナマ博の声をバックに、良く出来たとらやのジオラマを眺める。何とも贅沢な気分に浸っていると、ある事が頭をよぎった。

 さくらの事だ。

 さくらはこの家屋のどこにパンティを干していたのか、という事だ。誰かにパンティを盗まれはしなかったか、という事だ。

 

 シリーズ第1作目を見ながら、検証してみたい。この時、さくらは20歳前後(寅次郎が昭和15年11月29日生まれだから、29歳。さくらはその10歳ほど下)。博と結婚するまで、とらやの2階に住んでいたわけだ。それにしても、この家屋は画面で見る印象よりも、遥かに広い。まずは間取り図をご覧頂きたい。

 

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  庭のA地点に物干竿が設置してあり、さくらのパンティも普段はここに干されていた可能性がある。時は昭和44年。女性の下着といえども、屋外に干すことはさほど敬遠されていなかったはずだ。だが、一つ大きな問題がある。そう、隣接するたこ社長の工場(朝日印刷所)だ。点線に注目して頂きたい。たこ社長は毎日物干の脇を通って、とらやにやって来る。若い工員たちも休日は物干の近くに集まり、「すいかの名産地」など歌っている。隣近所の関係が密接な、下町の(ある意味ステレオタイプな)イメージを反映した場所なのだ。そんな所にパンティを干したらどうなるか。

 仮にシーツやおいちゃんのステテコに隠され、人目に付かないように干されたとしても、性欲を漲らせた若い工員の嗅覚をもってすれば、若い女性のパンティを嗅ぎつける事など容易だ。たこ社長にしても、あれだけ資金繰りに詰まっていれば、日々のストレスは甚大だろう。その捌け口がパンティに向かったとしても、何ら不思議ではない。

 

 さくらのパンティは、常に危険に晒されているのだ。

 

 若い娘のパンティが無くなれば、普通は大事になる。おいちゃんも「馬鹿だねえ…」では済まないだろう。だが、さくらの性格を鑑みると、無闇に他人を疑う事は想像し難い。「おかしいわね、風で飛ばされちゃったのかしら」と、やり過ごしてしまうのではないだろうか。そういう甘い考えが、世の下着泥棒をつけ上がらせるのだ、と言っておきたい。

 次に、さくらの自室を検証する。普通の女性なら、自分の部屋に干すのが妥当だろう。ここでもう一つ画像を見て頂きたい。

 

1

 

 

 工場の2階、博の部屋から見たさくらの部屋だ。そう、内部が丸見えなのだ。シャイで実直な博が他人のプライバシーに踏み入る事は無いように思えるだろうが、彼を見くびってはいけない。博がさくらに愛を告白する時の台詞がこれだ。

 

僕の部屋から、
さくらさんの部屋の窓が見えるんだ。
朝、目を覚まして見ているとね、
あなたがカーテンを空けてあくびをしたり、
布団を片付けたり、
日曜日なんか、楽しそうに歌を歌ったり、
冬の夜、本を読みながら泣いていたり─。

 

 博は朝日印刷所に入社してから3年間、さくらの行動をつぶさに観察していたのだ。当のさくらはその視線にまったく気付いていないのだから、無防備にも程がある。洗濯物を干しているところも、何度か目撃されたに違い無い。もし、窓際に干されたパンティ─デザインは凡庸で、色は殆ど白。高級品の類は一切無く、むしろ安物ばかりだろう─を、博が発見してしまったら─。愛する女性の下着であれば、どんな手を使っても手に入れたいと思うのが正常な男の思考だ。マンションの3階、4階によじ登る猛者も珍しくないのだから、2階のパンティを手に入れることぐらい容易いだろう。見つかれば、工場は当然クビだ。さくらには一生会えなくなる。そんなリスクを背負ってまで、博はパンティを盗むだろうか? 盗むのだ。下着泥棒の行動力を甘く見てはいけない。

 「七度尋ねて人を疑え」言葉の通り、軽々しく人を疑うのは私の信条に反する。だが、博や他の工員、或いはたこ社長の誰かがさくらのパンティを盗み、クロッチをクンカクンカしながら自慰に耽っていたとしても、私はそれを安易に軽侮出来ない。低賃金で働く若者、高度経済成長を末端で担う零細企業の社長。社会的弱者とも言える彼らが1枚のパンティによって刹那の安らぎを得るとしたら、誰がそれを責められようか。

 …というような妄想をしながら、私は柴又を後にした。こんな事ばかり考えている私を、あなたは軽蔑するかもしれない。結構結構。結構毛だらけ猫灰だらけ、クロッチの周りは染みだらけ、だ。帝釈天の鐘が、まだ体の奥で響いている。

 

hirosi印刷工場のセットと、博のパネル。本物は数メートル先にいました。

 

住吉トラ象
元エロ本編集者。現在は派遣労働者。60~70年代のソウルミュージック、イイ女のパンツが好きです。座右の銘は「ニセモノでも質の高いものは、くだらない本物よりずっといい」(江戸アケミ)

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