第十二回 「テレ朝のエース候補だった才色兼備の女子アナ 野村真季の残念な凋落」

 

 

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◆もう39歳になってしまった。まさか鳴かず飛ばずで四十路を迎えると は、テレ朝の幹部は想像もしなかったに違いない。プライドの高い野村真季アナ自身も忸怩たる思いでいるに違いない。

東京女子大学出身、英語検定準一級のインテリでありながら、この端正な美貌、そして身長171センチのスレンダーなプロポーションである。小中時代はバスケットボール部、大学時代はラクロス部に所属したスポーツ美人でもあった。

1998年に新人アナとしてテレビに紹介された頃には、さっそく女子ア ナ・マニアの注目の的となった。気品ある可憐な顔立ちでいながら、プライド高く、体育会系の上下関係もわきまえた聡明美人…、まさにバラエティでも報道でも、茶の間の脂っこいオヤジたちを虜にする資質充分の逸材であったのだ。

 

当意即妙の受け答えができず、硬直の表情で沈黙
アドリブの利かないインテリ美人の苦悩

だから新人時代のデビューは華々しかった。人気バラエティに片っ端から顔を出し、出演者にイジられる。これが悲劇だった。マジメで誠実、しかもインテリでプライドの高い野村真季は、返答に詰まって固まってしまうのだった。引きつった美形がお茶の間に映る。気の利いたことを言おうと焦れば焦るほど、顔にシワが刻まれ、苦悩の表情が場を暗くする。初々しい女子アナを出演者がイジメている構図になって、出演者も番組スタッフも、野村真季は使えない…と敬遠した。

だが野村真季アナは、英語も堪能なインテリ美人だ、報道系で活躍してもらえばいいじゃないか…と軸足を報道系統に置くようになる。

そこに悲劇の上塗りが待っていた。

 

テレビでいちばん大切な瞬発力の無さが致命傷

野村真季は、皆に気に入ってもらいたい、皆に褒められたい、敵を作れない良い娘タイプの才媛だったのだ。報道系の意見の対立についていけるはずもなく、右往左往するだけだった。

番組「朝まで生テレビ」では、思っていることが歴然と顔に出てしまう田原総一朗が、野村真季の曖昧な物言いに、怒りと幻滅の顔色になったのが印象深い。そのときは様々な番組でコンビを組んでいる渡辺宜嗣アナが唖然として、この女はどんなに頭が良くても、能無しだ…と憐憫の表情を浮かべていた。

以後は、外に出てのお天気レポート、スタジオの原稿読みがメインの仕事になっていく。一瞬のアクシデントに動けなくなってしまう性格は、次々とハプニングを生み、風が吹いてスカートが捲れ上がり、スタジオの健康コーナーで膝が開き、インテリ美人のパンチラに期待するファンは、逆に増加しているのではないだろうか。

 

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野村真季アナは、2004年に結婚し、2008年から2009年掛けて出産休暇でテレビから離れている。復帰後は、あまり視聴率と関係のない時間帯で、悠々自適の緩い進行役を務めている。

 

師範代/夏岡 彰
素人投稿プライベート写真雑誌「ニャン2倶楽部」の元締め。野外調教人として羞恥プレイの実践派。「日本ミニスカ倶楽部」の師範代。現在は、「ミニスカ熟女・推進委員会」の座長。小便娘のミニよりも、熟年世代の恥艶ミニを推奨している。趣味:官能スケベ小説の熟読、有名女優の映画ヌード場面の鑑賞。

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