第十七話

 

 柏木が、初めてセックスを経験してから半年以上が経った。

 その間も、それまでと同じように編集部で働き、週に一度は、仕事帰りに自宅近くのスーパー銭湯に寄った。

 瞑想サウナで、畳んだタオルを膝に乗せ、イチモツを露出させている男たちの顔も覚えた。

 よく見る常連が8人ほど。ネットの掲示板で見てやってきたのであろう新顔もちらほら見掛けたが、平松に似た男は、柏木が初めてこの世界を知ることになったあの日以来見掛けていない。

 週末には、ゆきになって、池袋のミストにも行ったし、六本木から新大久保に移転したグラジオラスにも、時折足を運んだ。

 一時は火事で閉店していた、新中野のABCも営業を再開したと聞いて行ってみたこともある。

 ゆきは、女装子として純男にモテた。だが、女とセックスするチャンス は、多々良書店に行ったあの夜以来、一度も訪れることはなかった。

 その日、柏木は、数ヶ月振りに、有田の撮影に同行することになった。

 上野駅の浅草口を出てすぐのところにあるアルハンブラ上野というマンションの923号室が、その日のスタジオだった。

 アルハンブラ上野には、中国系のエステ屋が数多くあり、ネット上では、東京の九龍城砦などと書かれている。かつては、売春風俗が十数軒もあっ て、一斉摘発を受けたこともあった。

 その直後は、アルハンブラ上野から風俗店やマッサージ店の看板は消えたが、今は入り口の歩道の上に、十軒以上の妖し気なマッサージ店の看板がズラリと並んでいる。

 その日のモデルは、刺青の入ったOL3人だった。

 そのOLも、身体に刺青が入っていることは会社に隠している。

 だから、この日の撮影でも、OLは、自分の手で、目や口元を覆って有田のカメラの前に立った。

 

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 有田は、シャッターを切りながら、休むことなくモデルのOLに話し掛けた。

 柏木に話す時は、ふた言目には「バカ」という単語が出るほどの毒舌だ が、モデルには下ネタを交えながらも、物腰柔らかに話し掛けている。

 有田は、2人目のOLに、

「AKBの柏木由紀に似てるね。そう言えば、柏木由紀、ドラマでキャバ嬢の役するらしいね。キミも、ゴージャスな雰囲気あるからキャバ嬢似合いそうだけど、もしかして、バイトでやってる?」

 と、早口で言うと、

「あっ、そうそう。ここにいる編集クンも、柏木っていう名前なんだよ。まあ、柏木由紀には全然似てないけど」

 と、付け加えた。

 OLは、

「え、分かりますか。タトゥーもだけど、キャバのことも会社には内緒ですよ。今度、同伴してくださいよ」と、有田に答えた。

 有田の後ろに立っていた柏木の額から、どっと汗が噴き出した。思わず鼻の頭を触ってしまった右手の指先も、汗で濡れた。

 まさか、有田は、柏木が女装子のゆきであることに気付いているのだろうか。

 かつて、偶然にも、池袋のミストで、女装子のゆきは有田のイチモツを咥えさせられたことがあったが、ゆきが柏木であることに、有田が気付いていたような様子は微塵もなかったはずだ。

 有田は、柏木が焦っていることなどお構いなしに、OLとの話しを続け た。

「バイトはキャバなの? 風俗だったら行くけどな。キミが女王様だったら最高だな」

 有田は、明らかにOLに鎌をかけていた。

「えっ、女王様って、SMクラブってことですか。私、Mだから、どっちにしたって女王様なんて無理ですよ」

 有田に乗せられたのか、OLは、恥ずかし気もなく、自分の性癖まで暴露していた。

「Mなんだ。オレもMだからダメだね。男って、結構、女にオシッコ飲まされたいって思っている人多いよ。まあ、女のオシッコ飲みたがるのは、男として普通だと思うよ。男のオシッコ飲みたがる男は変態だけど」

 有田は、マシンガンのように、どぎつい下ネタを平然とOLに向かって放った。

 そして、後ろにいる柏木をチラリと一瞥した。

 一瞬有田と視線を合わせた柏木の目が泳いだ。

 もしかしたら、有田は、平松の兄が女装子の小便を飲みたがることまで知っているのだろうか。

 有田がOLに向かって話していることは、実は全て自分に向けられているのではないだろうかと、柏木は感じた。

 背中を冷たい汗が、ツーと垂れていくのが分かった。

 その時、柏木のズボンのポケットの中で着信音が鳴った。

 ポケットに手を突っ込んで携帯を取り出し画面を見た。

 「先生」からの電話だった。

 

志井愛英
小説家。昭和41年生まれ。同性愛者、風俗嬢、少数民族、異端芸術家など、マイノリティを題材にした作品が多い。一部の機関誌のみでしか連載しておらず、広く一般に向けた作品は本篇が初。

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