第十一話

 

デスクに座り、読者からの問い合わせのメールに返信していた柏木に、平松から声が掛かった。

「柏木君、この映画知ってるか」

平松が手にしていたのは、『僕の中の男の娘』という映画の招待券だった。

「今、世間では、男が女装するのがブームっていうじゃないか。実は昨夜、有田さんに誘われて、秋葉原の『ニュータイプ』っていう女装子バーに行ってきたんだ」

昨夜といえば、ゆきが『ミスト』で有田に体液を飲まされた、あの夜だ。

有田が、あの後、平松と会って、女装子バーに行っていたとは。

それならば、『ミスト』であったことも、有田は自慢気に平松に話したことだろう。

柏木は、警察に聞き込みを受ける、真犯人の気持ちが分かる気がした。

平松は、『ニュータイプ』に来ていた初対面の客から、映画のチケットをもらい、「女装子の本を出してくださいよ」と、言われたという。

柏木の目が泳いでいることに気付いた平松は、
「確か、柏木君はホモに興味があるんだったよな。有田さんが前にそんなことを言ってたし。だったら、女装子にも興味があるんじゃないのか」

と、言うと、
「君がこの映画見に行って、女装子の本が出せそうなら企画書書いてみてくれ」
と、続けた。

相変わらず、平松の言葉にはトゲがある。

柏木は、
「自分で見に行って、自分で企画書書けよ、ハゲ。今頃、女装子がブームと知ったのか。そんな腐ったアンテナして、よく編集長が務まるな」

と、心の中で叫びながら、「分かりました」とだけ、声に出して答えた。

翌週の木曜日の午後、柏木は銀座・三原橋の地下の映画館で、『僕の中の男の娘』を観た。

映画を観に来ていたのは、女が多かった。もしかしたら、本物の女ではなく、女装子かも知れなかったが、そこには、例の『ミスト』や、浅草の『黄金会館』、或いは、ゆきが何度も行ったことのある、六本木の『グラマラス』という発展場のような、男たちの性欲が沸き立つ猥褻な雰囲気はなかった。

ひと口に女装子と言っても、男が女装する動機は実に様々だ。

毎月最終金曜日に、新宿の風林会館で開かれている、女装子のパーティー『プロパカンダ』に行っても、そこには、多種多様の女装子が集まってきていた。

風林会館の道路向かいにある路地裏にも、女装子のいる小さなバーが幾つもある。

その中の一つ『砂の城』で、柏木は、女装子のAVを作っている、監督に会ったこともあった。

新宿ゴールデン街にある『昭』は、新宿界隈で最古の女装子バーだと言われている。

柏木は、純男として『昭』を訪れた時、カウンターで隣になった60代のオカマに、いきなりイチモツを口に含まれ、射精させられた。

オカマは、当然のように、口の中に溜まった液体をゴクリと飲んだが、やはり60代のオカマである店のママに、プレイ代として1万円を請求された。

柏木は、気が付いてみると、この半年の間に、すっかり壁の向こう側の人間になってしまっていた。

木枯らし1号に落ち葉舞う銀座の街を歩きながら、柏木は、いつか有田が言っていた言葉を思い出した。

「オレの知り合いに小説家になった奴がいるんだが、そいつは文章が上手いから、ファンの読者も多い。でも、そこに書いてあることは、ほとんど全てが、映画や、他の人が書いた小説から得た知識なんだよ。本人は典型的な臆病で、特別な経験は無いに等しいから、書いてあることにまるでリアリティがないんだ」

その時、柏木は、
「小説なんて、そんなもんじゃないですか」
と答えたが、

「本当にバカばっかだな。フィクションであっても、そこに世の中のリアルな問題点を埋め込んでこそ、小説は意味を持つんだ。冒険家になれない小説家なんて、クソなんだよ」
と、有田を怒らせてしまったのだった。

柏木は、今の自分なら、女装子本の企画を上手く書くことができるかも知れないと考えた。

有田が批判していた小説家のように、壁の向こう側から覗いて書く必要はない。この半年間、自分自身が生身の身体で経験したことをベースに企画を立てればいいのだ。

銀座から地下鉄に乗った柏木は、上野駅で降りた。

向かったのは、不忍池の近くにある、あの発展場映画館だ。

 

meisou (2)

 

重たい扉を引いて中に入ると、そこは、その日も立ち見客でごった返し、もの凄い熱気が充満していた。

瞬く間に、柏木の下半身に何本もの手が伸びてくる。

柏木は、素知らぬ振りをして、スクリーンに視線をやった。

すぐに、ベルトが外され、ズボンと共にボクサーパンツが下ろされると、柏木のイチモツが露になった。

一人の老人がそれを手で扱き、別の一人が玉袋を揉む。また、別の一人は、柏木のシャツを捲り上げ、乳首を摘んでいった。

それは、AVでも見ることがないほどの、大胆な痴漢行為だった。

だが、それは現実だった。上野にあるこの映画館では、日常的な光景だ。

柏木の足元にしゃがんだ老人が、喉の奥まで柏木のモノを咥え込んだ。

しばらく味わった後、
「口の中に出してね、お兄ちゃん」
と、言うと、再び柏木を口に含み、唇をすぼめて熱心にフェラチオした。

柏木は、一切返事もせず、ただスクリーンをじっと見ていた。

女装子のゆきに変身して、『ミスト』に行ってもモテるが、男のままでも、ここに来ればそれ以上にモテる。

モテることは嬉しいし、自分のイチモツを欲しがる人が、こんなにもいることが、柏木に不思議な安心感を与えていた。

射精感が込み上げてきた柏木は、「あっ、出る」とだけ小さな声で言うと、顔もよく見ていない男の口の中に精液を漏らした。

男はそれをゴクリと飲み干した。

柏木は、誰とも目を合わせないまま、射精だけしてそそくさと映画館から出た。

そのまま編集部に戻ると、打ち合わせデスクで平松と有田が話しをしている姿が目に入った。

柏木に気付いた有田が、
「『僕の中の男の娘』観て来たんだって。どうだった」
と、声を掛けてきた。

柏木は、無意識のうちに、右手で鼻頭を摘んでいた。

 

志井愛英
小説家。昭和41年生まれ。同性愛者、風俗嬢、少数民族、異端芸術家など、マイノリティを題材にした作品が多い。一部の機関誌のみでしか連載しておらず、広く一般に向けた作品は本篇が初。

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