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第十二回 『The Times They Are a-Changin’(時代は変る)』

 

 このところ『ギャル文化の繁栄と衰退』をテーマにした記事をよく目にする。ブームを牽引した雑誌『egg』の休刊(2014年5月)は、一つの文化の終焉を象徴する出来事だったと思う。振り返ると、その登場はまさにセンセーショナルだった。創刊号の発売直前、渋谷駅構内に貼られた広告を見て「これは絶対に大ヒットする」と確信したのを憶えている。1995年の初夏、阪神淡路大震災や地下鉄サリン事件から数ヶ月しか経過していない頃 だ。それらを総括して「混沌とした」と表現するのは庸劣かもしれないが、改めて時系列を整理すると、やはりカオティックな時代だったのだと思う。

『egg』がエロ本に与えた影響も少なくない。今はなき東京三世社が発行していた『チョベリグ』(今となっては時代を感じさせる雑誌名だが、素晴らしいエロ本だった)を始めとして、ギャル系のエロ本も増え始めた。私個人 も、あの独自のキャッチコピーとデザインを幾度も模倣し、時にパロディ化させてもらった。また、当時懇意にしていたナンパカメラマンが、『egg』専属の人気モデルとのハメ撮り写真を持ち込んできた時には驚いた。目線を入れ、名前はイニシャル表記という相手側の条件に従って掲載したが、やはり反響は大きく「あれは本物か」「どうやって撮ったのか」という問い合わせが(特に同業者から)相次いだ。何らかのトラブルに発展することも想定したが、幸い杞憂に終わった。

 とにかく、後発の類似誌が次々に淘汰されていった中で『egg』が20年も続いたのは、高い誌面のクオリティを保っていたからに他ならない。制作に関わった方々に改めて敬意を表したい。

 

 さて、今回はエロ本編集者の立場から見たギャル史を記してみたい。援助交際、ギャルサー、それに纏わる半グレグループ、彼らが経営するモデル事務所の台頭と、書くべきことは多々あるが、まずは『ギャルブーム前夜』から追懐してみたい。

 1992年の春、私は某アダルト系出版社に入社した。『egg』創刊の3年前だ。配属された雑誌で最初に担当したのは、ブルセラショップがオリジナル制作販売するビデオの紹介コーナーだった(ちなみに『ブルセラ』という言葉は、まだ一般にはさほど浸透していない。翌93年から一気に広まり、その年の流行語大賞にノミネートされた)。ビデオの内容はかなり大雑把 で、パッケージも所謂『企画モデル』の生写真を貼り付けただけの簡素な物だった。都内に7~8店あったショップの中で、渋谷の某店の店長とは何故か気が合い、近くを通れば用事が無くても店に顔を出した。カウンターの中で缶コーヒーを飲みながら、取り留めの無い会話を交わしては暇を潰したものだ。店長の風貌はとてもカタギには見えなかったが、話し上手の面白い男だった。マンションの1室に構えた店舗に陳列されているのは前述したビデオと女子校の制服ぐらいのもので、店内には好事家の客が1人か2人いればいいほうだった。ところが、それから1年もたたないうちに、店内は人で溢れ返ることになる。店が女子校生から使用済みのパンツを買い取り、高値を付けて売りし出したのだ。

「パンツを売るだけでお金がもらえる」

 そんな噂は瞬く間に広まったようで、学校帰りの女子校生が入れ替わり立ち替わり来店する。平日の店内は夕方のファーストフード店のように賑わ い、店に入れない子がマンションの螺旋階段で列をなしていたほどだった。彼女たちのルックスは平均的に高く、中には名門と名高い学校の生徒もい た。後年、ブルセラショップのモデルをやった高校時代の写真がスクープされて、表舞台からフェイドアウトした若手女優がいたが、彼女は運が悪かったと思う。ショップ黎明期にもアイドル並みのルックスを持つ女子校生は実際にいたし、その中の何人かがタレントになっていたとしても、何ら不思議ではない。とにかく、私は彼女たちが汚れたパンツを金に替えるのを間近で見ていたのだ。

「うーん、これは1500円だね」

「安くない?」

「ちょっと染みが足りないんだよねえ」

「えー、けっこう汚してきたんだけど」

「これじゃお客さん喜ばないんだよ。今度はもっとびっちり汚して持って来てよ」

「…はーい。じゃ、店長、また来るね」

 強面の店長と女子校生たちが交わすそんな会話を聞き、私は「何かが間違っている」と思わずにはいられなかった。漫画『HEAT-灼熱-』(作/武論尊 画/池上遼一)の中に、以下のシーンがあるのをご存知だろうか。やはり舞台はブルセラショップ。パンツを脱ぎ、ポラロイドを撮らせて小遣いを稼ぐ女子校生を見て、主人公の唐沢辰巳が言う。

「…この国は、一度、ブッ壊した方がいいかもな…」

 唐沢の台詞と似た感情を私も抱いた。我が国の美徳の価値観は、大きく捩じれてしまったのではないだろうか。
 パンツの染みというのは、日常生活の中で意図せず「付いてしまった」からこそ美しいのだ。クロッチを凝視しないと判別出来ない淡い染みにはそれなりの味わいがあり、生理現象によって荒々しく彩られた染みにも生命の力強さを感じる。染みというのはクロッチというキャンバスに女性だけが描くことが出来る芸術なのだ。他人に促されて意図的に汚したパンツなど、何の価値があるものか。例えるなら盆栽の名品にクリスマスツリー用の装飾を施すようなものだろう。あるいは、雪舟の水墨画にクレヨンで色を塗るようなものだ。もしくは、老舗店の割烹料理にカレーをかけ、さらにハンバーグとナポリタンをトッピングするようなものと言ってもいい しかもだ。後年、たまたま仕事をしたモデルが「あたしもパンツ売ってたよ」と軽いトーンで語ったことがあったが、続けて言った台詞には暗澹たる気持ちにさせられ た。

「あれってさ、蜜柑の汁とかぐちゃぐちゃにして染み作るんだよ。みんなそうやってた。本物の染み? そんなわけないじゃん。あんなに汚れるわけないし。みんなあんなの買うんだもんね。バカみたい」
 これはもうパンツに対する冒涜と言っていいだろう。「仏作って魂入れ ず」とは、まさにこのことだ。だが、客もバカばかりではない。商品のパンツがある種のイミテーションだと気付いていた者はいただろうし、何よりもっと新鮮な物を入手したい。そこでどうするか。ショップに出入りする女子校生を待ち伏せて、生脱ぎ販売を掛け合うのだ。交渉が成立すれば、建物の死角でパンツを脱がせて1万ほど払う。ショップの販売価格の1.5倍から2倍の値段だが、何しろ新鮮度が違う。女子校生にとってみれば買い取り価格の5倍ほどの収入を得られるのだから、利害が一致する。だが女子校生も1枚上手で、決して生パンツを売るわけではない。大抵はスカートの下に 5、6枚のパンツを重ね穿きしているのだ。5枚売れば1日の収入は5万 円。これは私の現在の月収の半分に近い。
 時は1993年・夏。渋谷の街にはピチカート・ファイヴの『スウィート・ソウル・レヴュー』が流れる一方、その片隅では血腥く、オリモノ臭く、小便臭い攻防戦が繰り広げられていたわけだ。

 その後、ショップの下種な商法は加速した。次第に女子校生の尿や唾まで売り出したのだ。棚にはプラスチックの容器に入った黄色の液体がいくつも並べられている。私はやはり目を覆いたくなった。
 女の尿というのは、股間から放出されている瞬間にこそ価値があるのではないか。しゃがんだ姿勢から鮮やかな放物線を描いて飛んで行く尿は、やはり芸術品のように美しい。放物線といえば、往年の名打者・田淵幸一のホームランは常に美しい弧を描いて外野席に吸い込まれたが、あの弾道を見ず、ホームランボールの現物だけ手に入れたところで、そこに感動があるだろうか。パッケージされた尿も同様で、それを見て興奮する男の心理は私には分からない。ただ、能年玲奈や石原さとみ、蒼井優や堀北真希、橋本環奈の尿は例外だ。もう少し付け加えると歌手のYUKI、NHKの守本奈美アナ、フジテレビの生野陽子と加藤綾子、ビヨンセ、ジェシカ・アルバ。彼女たちの尿なら、価格によっては食指が動くかもしれない。

 

 現在、ブルセラショップの大半は閉店を余儀なくされ、残った店はコスプレショップに転換した。パンツの売買はネットの掲示板を通じて行われているという。それについて非難するつもりは毛頭無い。だが、敢えて言わせてもらうなら、男は本物を見極める力を持ってほしい。服、車、ウィスキー。そしてパンツの染み。高品質の物を自分自身の価値観でジャッジ出来るの が、ダンディズムではないだろうか。女には羊質虎皮にならぬよう、ただ真摯に染みを作ってほしい。それだけだ。
 
 まだ『ギャル文化前夜』の半分しか記していないが、今回はこの辺にしたい。続きは次回以降に気が向いたら書く。書かないかもしれないが。

 

 

photoA

『ボサ・ノヴァ2001』ピチカート・ファイヴ(1993年)
このCDを聞くと、今でもあの時代の渋谷にタイムスリップ出来、パンツを生脱ぎする女子校生の姿が鮮明に蘇る。名盤。

 

住吉トラ象
元エロ本編集者。現在は派遣労働者。60~70年代のソウルミュージック、イイ女のパンツが好きです。座右の銘は「ニセモノでも質の高いものは、くだらない本物よりずっといい」(江戸アケミ)

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