第十四回 「コロナ鬱とコロナ躁」

 

 

 このコラムを再び書ける日が来るとは思っていなかった。
 新規コラムをアップしている執筆陣は、もう誰もいない。そもそもメインコンテンツの動画自体が、ほぼ更新されていない。果たしてこれを読む人間が一人でもいるのか、それも分からない。

 しかし、何かを書かなければいけない。
 そんな義務感のようなものにかられている。最後に書いたのはチャック・ベリーの追悼文だった。2017年のことだ。

 それから3年がたった。
 3年の間に、私の心的傾向は著しく変わった。変わらざるを得なかった。一昨年の夏に原因不明の病を患って死を覚悟したことも一つの要因だが、それ以上に、この社会が急速に悪化している影響が大きい。

 政治の腐敗など今に始まったことではないが、ここ数年の酷さは目に余る。改竄・隠蔽・捏造。閣僚の支離滅裂な答弁や、開き直り。ニュースを見るたびに憤りが蓄積され、暗澹たる気分に襲われる。まるで光の届かない深い谷底で暮らしている気分だ。そんな私に一体何が書けるのかと悩んだが、今はやはり、このコロナ禍以外にないだろう。政府や行政に対する不満を書いたらキリがないので、自分自身に起こった出来事のみ、書かせていただく。

 多くの人がそうだろうが、当初は私も対岸の火事と高を括っていた。2月中旬になってようやく「これは予想以上にヤバい」と思ったが、まだ気持ちには若干余裕があった。本格的に危機感を抱き始めたのは、3月に入ってからだ。
 まだステイホームという言葉が浸透する前だったと思うが、自主的に外出を減らした。もともと私はインドア派で、世界で一番好きな場所は「自分の家のPCの前」だ。それでも、ジムでのランニング、下町散歩、古書店巡り、馴染みの飲み屋での一杯など、外出を要する趣味も少なくない。だが、この時期に生活スタイルを大幅に変えた。

 まず、1年間通ったフィットネスジムを退会。電車にも乗らなくなり、酒は家飲みだけになった。早朝3時間のマンション清掃アルバイト(自転車通勤)と、夕方に食事の買い出しに出かける以外は、ほぼ全ての時間を家の中で過ごした。清掃のバイトから帰宅するのが午前11時半。本業のレイアウト仕事が入っていればそれをやるだけなのだが、今はその本業自体が激減している。丸一日、何の予定もないことも珍しくない。

 そんな日の過ごし方は、だいだいこんな感じだ。まず、積んでおいた未読の本を読む。その合間に、ニュースを逐一チェックし、国会中継を見る。夕方になると、スーパーの惣菜を肴にビールを飲み始め、Netflixで映画を見たり、アダルトサイトでエロ動画を見る。気が向いたときは知人・友人に電話をかけて、近況を語り合った。
 そういえば、旧い友人とZOOM飲み会もやった。思い出話に花を咲かせて無邪気に笑い合い、彼らの子供たちとも会話を交わした。それなりに充実した時間だった。そんな生活を送っている間に、緊急事態宣言が発令され、解除された。私は誰に指示されることもなく自宅中心の生活を送っていたので、発令も解除も関係ない。そのままステイホームを続けた。

 だが、6月にもなると、そんな生活が「充実している」とはとても思えなくなった。当たり前だ。社会は通常通りに動き出しているのに、私は相変わらず酒を飲んだり映画やエロ動画を見たりしているだけで、何の生産性もない暮らしを送っているのだから。
 自己嫌悪に陥り、日中からベッドに横たわる回数が増えた。小説を読んでも2~3ページでやめ、映画もラストまで見る集中力がなくなった。やがて本を手にすることも、Netflixにアクセスすることもなくなった。辛うじてエロ動画だけは見る気力があったが。

 しばらくすると、就寝から2時間後に目が覚めるようになった。酷いときは、1時間後だった。眠剤を2倍に増量したが、効果はなかった。典型的なうつ病の症状だった。しかし、こんなことは過去に何度も経験している。さして焦ることはなかった。
 かかりつけの心療内科で「いやあ、最近また眠れなくて」と話すと、医師は「コロナ以降、そういう人多いんですよー」と笑い、サインバルタを処方した。

 向精神薬を処方されたのは久しぶりだった。過去の経験から効果は全く期待していなかったが、医師に言われた通りに、1日1錠服用した。鬱々とした気分はしばらく続いた。毎晩、ベッドの上で過去を振り返った。頭をよぎるのは後悔ばかりだ。
 もう少し真面目に勉強していれば…。あのときサッカーを辞めなければ…。キース・リチャーズなんかに憧れなければ…。我ながら情けない思考だと思うが、仕方ない。
 うつ病と自己否定はセットなのだ。自分ではない誰かになりたい。いつもそんなことを考えていた。

 薬を服用して2週間ほど経過した頃だ。
 Twitter経由で、FaceAppというアプリがあることを知った。顔写真を女性化したり男性化したり、若くさせたり老化させたり出来るとかで、タイムラインにはフォロワーが各々の顔を異性化させた画像が並んでいた。普段の私ならそんなものは鼻で笑ってスルーするが、そのときは何故かすぐにインストールした。個人情報漏洩の危険性を危惧する声もあったが、そんなことは別にどうでもよかった。インストールが完了し、さっそくスマホのレンズを自分に向けてみた。風景写真はたまに撮る私だが、自撮りは生まれて初めてだった。自分のツラを自ら撮るようなナルシシズムは元から持ち合わせていなく、レンズを自分側に反転するのにも手間取った。
 とにかくシャッターボタンを押した。もう何年も外見には無頓着で、鏡を見る習慣もない。久しぶりに自分の顔を凝視して、愕然とした。活力を根こそぎ奪われたような、能面のような表情。口元はだらしなく半開きで、中途半端に伸びた坊主頭の7割は白髪だ。一刻も早く削除したい気分だったが、せっかくアプリを入れたので、「若返り2」「女性化2」「化粧」の順にエフェクトをかけてみた。

 その結果、画面に映ったのは、そこそこ綺麗めのニューハーフだった。ニューハーフヘルスのHPに載せたら、初物好きの客から少しは指名があるかもしれない。
 そんなレベルだった。所詮、私はニューハーフなのか。
 少し落胆した。

 試しにPhotoshopで自分の顔を切り抜き、AV女優の裸体とコラージュしてみたが、やはり違和感は否めなかった。もっと何とかしたい。何とかできるのではないか。

 私の中で、妙な向上心が湧いてきた。課金をすればもっと色々な効果が試せるのだが、出来れば金はかけたくない。なので、保存した画像に、さらに「若返り3」のエフェクトをかけてみた。改めてスマホ画面に映った自分の顔を見て、全身に電流が走り抜けた。

「美しい…………」

 完璧だ。そこには完璧な美少女が映っていた。いくら完璧といっても、全くの別人になってしまったら意味がない。だが、私の顔の面影はそこかしこに残っており、特に目元は私そのものだった。敢えて欠点を挙げるなら、鼻が左側に曲がっていることぐらいだろう。これは私が中学生の時に、ボクサーあがりで酒乱の実父と殴り合いの喧嘩をして骨折した名残だが、鼻が右に曲がっていようが左に曲がっていようが、瑣末なことだ。それほどの美貌だった。もう、AV女優の体とコラージュしようなどという気持ちは起こらない。私の美しさに見合うAV女優の体など、あるはずがないのだ。だが、その美貌と私の汚い部屋があまりに不釣り合いだったので、背景を女子の部屋風の画像に変えた。

 数日が過ぎても、私は自分の顔に見惚れていた。スマホを見るたびに「完璧だ…」と呟いた。Twitterでは相変わらず幾多の男たちがFaceAppで女性化した画像をアップし、「俺かわいい♥」などとツイートしていた。中には何度も写真を撮り直し、課金までして編集した輩もいるだろう。だが、私に比べれば、どれも最低レベルの女装子にしか見えなかった。その全てに「己を知れ、このドブス」と毒突いた。

 夕方、食事の買い出しに行く道すがら、若い女子とすれ違うたびに相手の顔面をチェックした。毎回、相手が不憫に思えた。せめて私の半分ほどの美しさがあったなら、全く違う人生を歩めただろうに。

 人生は残酷だ。

 また、男性陣の視線には、ほとほと辟易した。中には舐めるような目つきで私を見てくる輩もいる。明らかに私を性の対象として見ており、身の危険を感じたりもした。こんな状況がしばらくの間、続いた。そう、私は極度の躁状態に陥っていたのだ。

 向精神薬の影響かどうか分からないが、見事に躁転していた。FaceAppの画像と現実の区別すらつかなくなるほどだから、かなり重症化していたのだろう。うつと違って、躁は自覚できない。我に返ったのは、1週間後だった。

 正常な感覚をほぼ取り戻した頃、改めてFaceAppの画像を見てみた。こんなものに喜んでいた自分は、やはり相当病んでいたのだと実感した。すぐに削除しようと思ったが、これもこのコロナ禍がもたらした一つの弊害だ。その記録と、自分への戒めとして、画像をここにアップしておく。

 

住吉トラ象(51歳)

職業:清掃アルバイト

住吉トラ象
元エロ本編集者。現在は派遣労働者。60~70年代のソウルミュージック、イイ女のパンツが好きです。座右の銘は「ニセモノでも質の高いものは、くだらない本物よりずっといい」(江戸アケミ)

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