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第一回 「マリークワントとツィッギー」

1962年、ビートルズが現れて、音楽の世界は本当に革命が起きてしまったが、67年、ツィッギーというモデルが来日し、ファッションの世界もハレンチ革命が起きていた…と知るのは、まだずっと先のことである。

その頃はまだ、センズリを覚えたての小学5年生だった。だがおそらく、マリークワントがとてつもなく非常識な短いサイズに裁断した超ミニを発表しなかったら、エロの世界はずいぶんと遅れていたに違いない。マリークワントのデザインは、「ノーパン喫茶」、「ノーパンしゃぶしゃぶ」と受け継がれ、日本のエロとこの世のセンズリに貢献し、現在の「アイドル・パンチラ」、「女子アナ・ハプニング」と結実していくのだ。

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マリークワントのとてつもなく非常識な超ミニ

 

60年代終わりから70年代にかけて、一般女性のスカートのサイズは、衝撃的に短くなっていく。同時に男たちは視姦という快楽を覚え、学生運動、フリーSEX、ヒッピーになだれ込んでいく。

今のように、あらかじめパンティを見られることを想定した「見せパン時代」とはほど遠く、超ミニの下は生々しいリアル下着の時代に、ボクは超ミニの嵐に遭遇し、青春の悶々を暮らすことになる。あの頃、「君はチ○ポで釘が打てるか…」と問われたら、間違いなく、「イエス!」と答えていた70年代、ボクは超ミニ観察マニアになっていたのだった。

今だから言える。どれほど斬新で革新的であれ、男目線から眺めれば、ファッションは、淫猥な想像を掻き立てるエロアイテムでもあるのだ。「芸術は猥褻を内包する」と看破した写真家、荒木経惟は、思想も行いも正しいのだ。

まあ人が考えることは似たようなもので、ボクが東京で「東日本ミニスカ解放戦線」を詠っている頃、関西では「西日本ミニスカ解放同盟」を組織していた筋金入りのミニスカ賢人がいた。ラッシャーみよし氏である。まさか、みよし氏と出会い、「日本ミニスカ倶楽部」を設立することになるとは……。みよし氏は、百貨店のダイエーや西友の新聞織り込みチラシに出ている女の人を切り取ってストックし、ミニの膝丈を観察して味わっていたツワモノである。(さて、その話はまた後で…)。

 

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ツィッギーのハレンチ革命

 

師範代/夏岡 彰
素人投稿プライベート写真雑誌「ニャン2倶楽部」の元締め。野外調教人として羞恥プレイの実践派。「日本ミニスカ倶楽部」の師範代。現在は、「ミニスカ熟女・推進委員会」の座長。小便娘のミニよりも、熟年世代の恥艶ミニを推奨している。趣味:官能スケベ小説の熟読、有名女優の映画ヌード場面の鑑賞。

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