第十話

 

ゆきは舌の先に、わずかなしょっぱさを感じた。

それは、有田の先端から溢れ出た粘液の味だった。

ゆきが、男のモノの味を初めて知ったのは、はじめて黄金会館に行った日の前の夜、瞑想サウナで男に咥えさせられた時だ。

ゲイではないゆきは、最後に放たれるドロッとした液体の生臭さもさることながら、興奮した男から溢れる少量の粘液の味も好きにはなれなかった。

それでも、今まで舌に絡み付いたのは、見ず知らずの男の粘液だった。だから、粘液に対する嫌悪感はあっても、それを溢れさせている男に対しては、なんの感情も抱かなかった。

ただ、自分を求めてくれればそれでよく、痛くも臭くも無ければ、相手が誰でも同じだった。

だが、今回は違う。

あの傲慢で自分のことをバカにし続けてきた、有田の性器から溢れ出た粘液だ。

そのしょっぱさが、有田に対する憎悪の念を、ゆきの中で増幅させていった。

ゆきは、目を開けて、上目遣いでチラッと有田の顔を見る。

日焼けした、自信満々の男が、目を瞑って快感に浸っている姿が目に入る。

天井には、赤色の電球が光っている。

今、口の中のモノを思い切り噛み切れば、自分の口も、赤色に染まっていくだろう。

有田の血の味に、きっと吐き気を催すだろう。その前に、本当に噛み切れるのか。

噛み切れたとしたら、切断された有田の先端が、口の中にポロッと転がるだろう。

その後、逃げるべきか。逃げても、いずれ捕まって、テレビのニュースに、女装前の自分の顔が映し出され、見ず知らずの女たちから、「キモい」と言われるだろう。

その間も、有田は、自分のイチモツの根元を扱き続けている。

「ゆきさん、口の中に出してもいいの?出したいな。ゆきさんのお口に」

有田が、声を震わせながら言った。

噛み切るなら今しかない。

ゆきは、有田の亀頭の付け根に、軽く歯を宛てた。

 

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今、ここで噛み切れば、有田には復讐できる。しかし、本当に復讐したいのは、有田ではない。平松だ。

どうせ捕まって、社会から抹殺されてしまうなら、平松のモノを噛み切った方がいい。

いや、平松の首を斧で切り落として、殺してしまってからの方がいい。

その時、ふと、金木犀の匂いがしたような気がした。

その日、「ミスト」に来る途中、池袋北口のホテル街で嗅いだあの匂いだ。

こんな密室に、一体どこから金木犀の香りが入ってきたのだろう。

そうゆきが思ったが早いか、ゆきの鼻腔を貫く匂いが、一気に生臭いものに変わった。

舌全体に、夏ミカンの白い線皮のような、苦さが広がったかと思うと、口の中が、ドロッとした液体でいっぱいになった。

有田は、右手で最後の一滴まで搾り出すと、「ゆきさん、飲んでくれたら嬉しいな」と言いながら、ゆきの口からイチモツを抜いた。

イチモツを噛み切る度胸など、ゆきにあるはずがなかった。

だからこそ、ストレスを体内に沈殿させ、それを吐き出すために、瞑想サウナに通っていたのだ。

その結果が、今の自分だった。

ゆきは、口の中に溜まっていた液体をゴクリと飲み込んだ。

有田に対する憎悪とは裏腹に、ゆきのイチモツは、ピクピクと脈を打つほどに硬直し、天井を向いていた。

「ゴー」っという換気扇の音が、急にゆきの後頭部に響いた。

有田に対する復讐という緊張から解放されたゆきの鼓膜が、今、ようやく周りの音を脳に伝え始めたのだ。

有田がベルトを締める、「カチカチ」という音も聞こえた。

ゆきが仮眠室の床の上に脱力したまま仰向けになっていると、いつの間にか入ってきたサラリーマン風の男が、ゆきのモノを咥えた。

ラウンジで、声を掛けられずに、遠目にゆきのことを見ていた男だった。

発展場には、どこにでも、ハイエナのような男がいることを、ゆきはすでに学んでいた。

男は、ゆきのイチモツを激しく扱いて射精させると、ティッシュの箱を持ってきて、「ありがとう」と言った。

外に出ると、街中に金木犀の匂いが漂っていた。

ゆきは、山手線、埼京線、東武線を跨ぐ、池袋駅北側の巨大な陸橋を渡ると、DVDボックス「JUN」に入り、そこで柏木に戻った。

 

志井愛英
小説家。昭和41年生まれ。同性愛者、風俗嬢、少数民族、異端芸術家など、マイノリティを題材にした作品が多い。一部の機関誌のみでしか連載しておらず、広く一般に向けた作品は本篇が初。

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